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植物図鑑 補足 アカシア 【花木苗】

[2016.08.01]

●大澤梅雄営農技術指導員

チョット皆さん アカシア義兄弟の悩みを聞いてやってチョーヨ!

葉の似た者同士のアカシア、ニセアカシア、オジギソウ、そしてネムノキの4人が訪れてきて言うには、同じ悩みを持っている者同士、手を携えて生きていこうと、義兄弟の契りを結んだそうです。この機会に彼らの悩みを聞いてやって下さい。

アカシア(Acacia dealbataフサアカシア) 
私はオーストラリア生まれで、私らの仲間が日本に来てからもうかれこれ140年経ちます。同じような時期に来たニセアカシアに、軽い気持ちでアカシアという名前を貸したところ、今ではすっかりニセアカシアがアカシアとなってしまいました。「軒を貸して母屋を取られる」とはまさにこのことです。しかし、最近ではミモザと呼ばれるようになりました。これはオジギソウの本名なのです。この名前は結構気に入っているので、こう呼ばれても別に構いませんが、いってみれば逆の軒貸しになってしまいそうです。オジギソウには大変申し訳ないと思っています。しかし、一体いつになったら我々をアカシアと言ってくれるんでしょうね。

[アカシアの紹介]
 アカシア属はマメ科で、世界に1,380種ほどあると言われており、アフリカ144種、アジア89種、アメリカ大陸約185、太平洋地域に7種、オーストラリアは985種で最も多い(1)。ただし、日本には自生しない。花は主に2~4月に開花する。花は主に黄色であるが、中には白、オレンジ色の種類もある。

[アカシアと人間との係わり]アフリカから中近東にかけての代表的なアカシアは、食品添加物(ガムシロップ)や切手の糊として使われているアラビアゴムが採れるアラビアゴムノキ。聖書にも登場するシターアカシア(セヤル)等がある。シターとはアラビア語で「神聖」を意味する。インドでは、花から香料(カッシー)、樹皮から染料も採れるキンゴウカンがある。和名は金色の合歓の木を意味する。また、アセンヤクノキは材の煮汁から医薬(カテキュー、阿仙薬)が作られる。カテキンの語源となった木である。ハワイのウクレレはアカシア・コアから作られる。オーストラリアには、国の花となったアカシア・ピクナンタ、ブーメランの原材料はアカシア・ドラトキシロン、日本で普及しているのは、庭木や切り枝(以後切り花)用の銀葉アカシア、サンカクバアカシアなどである(表1)。
 このように、アカシアは有用樹で旧約聖書以前から人間と深い係わりを持ち、色々な用途に使われてきた。しかし、江戸時代まで日本人はアカシアを全く知らなかった。

▲表1   クリックすると大きくなります

[名前の混乱]
(1)アカシアがやって来た
 我が国にアカシアが本格的に渡来したのは明治に入ってからである。観賞用としてオーストラリアから多くの種類が輸入された。今でこそ洋風の家にアカシアという光景をよく目にするようになったが、明治から昭和20年代頃までは多くが茅葺屋根と土壁の家である。黄色い小さな花が無数に咲くアカシアはどう見ても伝統的家屋に合わない。おそらく、庭木としてのアカシアは好事家にとどまっていたと思われる。
 一方、5月に白い花を房状に咲かせるニセアカシアも同じような時期に渡来した。こちらは「明石屋樹」の名前で全国に苗木が販売され、街路樹や治山などの公共事業にも盛んに使われたことから、アカシアという名前が一般に認知され、さらに詩や歌にも取り上げられたことから、日本人にとってアカシアとはニセアカシアのこととなった(詳細はニセアカシア)。
 昭和30年(1955年)に岡山大学の安田教授は「花卉栽培全編」を著わした(5)。その中でアカシアをわざわざ「アカシア(真正)」とし、「切り枝、庭木として一風変わった風趣を楽しむことが出来る。戦後再び脚光を浴びて、世人の注目する樹木となった。アカシアと言えばすぐニセアカシア、ハリエンジュと思う人が多いが、ここに述べる種類は・・・これが本物のアカシアと呼ばれるもので、見出しに(真正)なる言を用いた」とあり、アカシアと言う名前がニセアカシアに盗られたと憤慨している様子が伺える。
 そうこうしているうちに、アカシアには別の呼び名が加わる。昭和53年(1978年)発行の植物図鑑(6)では「ギンヨウアカシア・・・日本では主に関西地方で栽培し、ミモザと称して華道でよく使われる」とあり、生け花の世界ではギンヨウアカシアの切り花を「ミモザ」と言っていたようだ。
 平成に入ると思いもしない展開が待っていた。一般の人はまず飲食関連の業態から「ミモザ」と言う名を知り、その後でミモザはアカシアという樹木の名前に由来していることを知り驚く始末である。
(2)名前の混乱はフランスから?
 そもそもミモザとはブラジル原産のオジギソウ(Mimosa pudica L.ミモサ・プディカ)のことで、1636年にイギリスにもたらされた(1)。その後、1780年にオーストラリアからアカシアとしては初めてスギバアカシアが渡ってきた(7)。1818年にはフサアカシアがイギリスに入り、遅れること6年、1824年にフランスへ導入された(7)。亜熱帯性の本種はイギリスの気候に合わず温室で栽培されていたが、1850年頃ヨーロッパの避寒地として知られる南フランスプロバンス地方の別荘地にイギリス人の富豪がフサアカシアを植えつけ、1864年にはボッカの城に植えられた(7)。南フランスは、よほど生育に適した場所とみえてどんどん増えていった。そして、1880年にはフサアカシアの切花産地が生まれた。この切り花のことを「ミモザ」と称して国内のみならず、イギリスにも輸出されたという(7、8)。この事実から、19世紀後半のフランスではすでに名前の誤用が起こっていたのである。
 ちなみにイギリスではオーストラリアから来たアカシアを「Wattle」と呼ぶことが多く、フサアカシアは「Silver Wattle」あるいはフランス名の影響で「Mimosa」とも言う。 
 オジギソウとフサアカシアは、同じマメ科植物で葉は羽状複葉、花はポンポン状で良く似ていることが原因と思われる。当初、ミモザはフサアカシアのことであったが、その後仲間全体を表す言葉となっていくのである。
 なお、「Mimosa」をフランス語で(mi-mo-za)、ミモサではなくミモザと発音する(9)。

[世界で認知されるミモザ]
(1)ミモザ街道とミモザ祭り
 南フランスの特定場所に植えられたフサアカシアはその後広範囲に広がり、ボルム・レ・ミモザからグラースという町まで130kmに及ぶ道を「ミモザ街道」と称されるまでになった。2月の街道は黄色一色に染まり、街道沿いの8つの町では大小さまざまなミモザ祭りが開催される。最も規模が大きく有名なのが、マンドリュー・ラ・ナプールのミモザ祭りである。1931年に初めて開催された(10)。最近では地元で栽培されたミモザの花12tを使って作られる山車のパレードがあったりして、春を告げる南フランスの一大イベントになった。
 こうなってくるとオジギソウはすっかり影が薄くなってしまった。
(2)「ミモザの日」とは
 一方、同じ地中海沿岸部の隣国イタリアでは3月8日になると、ミモザの切り花を持った男性が町中いたるところに見受けられる。町は黄色に染まっている。そして、男性は女性にミモザを贈る。日ごろの感謝の気持ちを込めて、さもなくば愛の告白かもしれない。女性はその日一日、家事から解放されて女性同士で食事会などをして大いに楽しむのだそうである。この日を「女性の日(Festa Della Donna)」または「ミモザの日」と言い、イタリア中が「アモーレ」に包まれる日なのだ(11)。
 このような慣習は第2次大戦後に始まったそうである。
 1946年3月8日、UDI(Unione Donne in Italiaイタリア女性連盟)の会合で、テレサ・マッテーイとテレサ・ノースは「女性の日」と花とを結びつけるよう提案した。花の候補として挙がった地元地中海沿岸部原産のアネモネやカーネーションを抑えて、ちょっと安価で珍しいオーストラリア原産のミモザが満場一致で「女性の日」のシンボルフラワーとして採択された。それはちょうど3月8日の記念日には咲いてくれ、まさに冬の寒さに耐えた強い生命力を象徴する(12)。
(3)「女性の日」から「国際女性の日」へ
 「3月8日」はイタリアだけの記念日なのか。いや、いや、これは世界が認めた記念日なのだ。
 事の起こりは、1904年3月8日にニューヨークにおいて、女性労働者が女性参政権を要求してデモを起こした。それを受けて1910年コペンハーゲンで行われた国際社会主義者会議でドイツのクララ・ツェトキンが「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念日とするよう提唱したことから始まった(13)。1975年になると3月8日は「国際女性の日(International Women’s Day)」として国連が定め世界的な記念日となった。現在は女性に対する差別撤廃に向けた環境整備をするよう、国連の事務総長が加盟国に毎年この日に呼びかける慣わしとなっている。
(4)ミモザの切り花産地が独立国に
 地中海沿岸部には国連に加盟していない国がある。屁理屈を言えば、この国に「国際女性の日」はないはずだが実際はある。この謎めいた国は「セボルガ公国」という。観光と農業が主要産業である。
 一体全体本当にそんな国があるのか。どこにあるのだろう。
 音楽祭で有名なイタリア北西部サンレモの隣、標高500mの山間部に人口320人の人々が住むという。ここが「セボルガ公国」だ。正式にはイタリア共和国リグーリア州インペリア県セボルガ村である。  
 この村は、第1次世界大戦後の20世紀前半、荒廃した村から人々はヨーロッパ各国に出稼ぎに行った。フランスに行った人が出会ったのがミモザ(フサアカシア)で、その黄色の美しさに感動し、故郷でミモザを育ててみようと考えた。かん難辛苦の末、イタリアのミモザ栽培発祥地と言われるほどの一大産地となった。この産地発展に尽力した花卉生産協同組合長ジョルジョ・カルボーネは、村の歴史上イタリア共和国への編入過程が明確ではないと主張する。村民は1963年ジョルジョ・カルボーネをセボルガ公国元首ジョルジョ1世として選出し、イタリアからの独立を宣言した。諸外国からの承認を全く受けていない自称独立国は、独立宣言の効果でイタリア内外から多くの観光客を引き寄せているそうだ(14)。
 「セボルガ公国」の話は井上ひさしの小説「吉里吉里人」を思い起こす。独立宣言した1963年の1年後、1964年にこの作品の原型となるNHKラジオ小劇場「吉里吉里独立す」は書かれた(15)。イタリアが大好きな井上(16)は、「セボルガ公国」のことを知っていたのだろうか。
 ちなみに、「武器よさらば」で有名なアメリカの作家ヘミングウェイの弟レスター・ヘミングウェイは、1964年頃ジャマイカ沖の小島を買い入れて自称独立国を作ったそうだ。
 さらに謎めいてくる。

[ミモザ 今の日本では]
 ヨーロッパやオーストラリアでミモザが地域経済・文化に大きな影響を及ぼしている中、我が国ではいつごろからミモザと言う単語が一般に知られるようになったのだろうか。
(1)ミモザは昭和? それとも平成?
 前述したように昭和53年以前からギンヨウアカシアを華道の世界ではミモザと称していたというが、それ以上の事は各種植物図鑑では明らかにできず、代表的な国語辞典に掲載された時期を調べてみた。  
 明治(17)、大正(18)、そして昭和30年(1955年)までは記載がなく(19)、1969年(昭和44年)になると「ミモザ」が初めて広辞苑に掲載され、「①マメ科オジギソウ属の学名。②マメ科アカシアの一種で淡黄色小球形の花をつける」と紹介されている。したがって、1955~1969年の間に専門用語が一般語として世間に知られるようになった。
 1999年(平成11年)の大辞林では「ミモザサラダ(mimosa salad)」なる単語が登場し、「黄色の花をつけるミモザのようにゆで卵の黄身を飾ったサラダ」と説明されている(20)。料理の世界でもミモザと言う言葉が使われるようになった証拠である。  
 現代を理解するための常識用語を収めていると言う「現代用語の基礎知識」に初めてミモザが現れるのは2004年(平成16年)で、「ミモザ:①オジギソウ、②シャンパンとオレンジジュースを同量混ぜた飲み物」と記載された(21)。この飲み物は1925年にパリのホテル・リッツのバーで創作された古いカクテルの一種であると言う(22)。最近人気が出てきたのであろう。また、「同2005」では「ミモザ:①ミモザアカシア、②シャンパンとオレンジジュース以下同上」とあり、記載年からするとミモザカクテルの方がミモザアカシアより早く常識用語として認知されたと思える。
(2)女性の社会的地位向上に一役買うミモザ
 一部の行政機関は、堅いイメージの行政政策を身近に感じてもらおうと、ミモザを色々な場面に使っている。
 「国連女性の日」が制定された1975年に、国連主催の「国際婦人年世界会議」が開催された。これに呼応してわが国でも「国際婦人年にあたり、婦人の社会的地位向上を図る決議」が衆参両院で採択された。これが現在わが国の内閣府が推進している「男女共同参画」につながっていくのである(23)。これは、政策や方針を決定する際にもっと女性を参画させるべきだとし、本県では県審議会委員への登用を推進している。卑近な例では、農業協同組合の女性役員や農業委員会の女性委員などの拡大を図っているところである。
 1985年(昭和63年)2月、農林水産省は毎年3月10日を「農山漁村婦人の日」に設定した。
 地方自治体の中には、伊丹市のように2007年(平成19年)から3月8日を「国際女性デーin伊丹ミモザの日」として男女共同参画を推進している(24)。また熊本市は平成24年に「男女共同参画センターはあもにい」のシンボルツリーとしてミモザを選んだ(25)。
(3)アカシアがミモザになる? 
 わが国では平成の時代に入ってようやくミモザの認知度は高まり、園芸関係の用語だけにとどまらず、飲食業、サービス業など第3次産業にも広く浸透してきた。この大きなうねりは、アカシアと言う名前を凌駕する勢いである。

[コメント]
1 最近ではミモザの認知度が高まるにつれ、一般の人は小さな黄色いポンポンのような花を見ればすべてミモザとなり、アカシアとは言わなくなった。もうこうなったら、ニセアカシアにアカシアと言う名前を譲り、本物のアカシアはミモザにしたらいかがだろうか。
2 二十四節季でいう「啓蟄」は3月6日頃で、冬ごもりしていた地中の虫たちが這い出てくるという。ちょうどこの頃、チューリップの芽が地面から現れ、そして、マンサク、サンシュユ、レンギョウなどの「黄色い花」が咲き始め直売所に並ぶ。「黄色い花」を見ると農家や園芸家は「生命の息吹」を実感するとともに、「黄色い花」は本格的な農作業開始のゴングなのである。啓蟄は農家にとっていわば元旦である。
 緑色は暗黙の了解で農業のイメージカラーとなっているが、「農業は黄色で始まって稲穂の黄色で終わる」とするならば、黄色はサブカラーにもってこいである。
 しかし問題がある。我が国原産のマンサクや中国原産のサンシュユ、レンギョウなど既存種は、艶やかな花ではなく、まして世間での知名度は低い。そこへ、艶やかで華やかなアカシアが加われば鬼に金棒で、一気に「黄色」は春到来を告げるシンボルカラーとして認知されるだろう。
3 春到来のわくわくした気分をフランス人はアカシアを飾ることで表現する。感謝の気持ちをイタリア人はアカシアを贈ることで表現する。死の悲しみをどこの国の人も花を手向けることで表現する。
 人間の知的好奇心をくすぐる永遠のテーマ「人と動物の違いは何か」には昔から色々な説が唱えられてきた。花き業界に携わる者としては、「喜、哀、楽などの感情を花で表現するのが人である」と考える。

参考図書・ウエブ
(1)Department of Parks and Wildlife Western Australian Herbarium:World Wide Wattle,

(最終アクセス2016.7.1)
(2)石井林寧・井上頼数(1976):最新園芸大事典,誠文堂新光社
(3)上中幸治・藤野守弘(1994):園芸植物大事典,小学館
(4)上原敬二(1977):樹木大図説Ⅱ,有明書房
(5)安田勲(1955):花卉栽培全編,養賢堂
(6)清水正元(1978):朝日百科世界の植物5,朝日新聞社
(7)PEPINIERES CAVATORE Specialite de Mimosa:Historique
(最終アクセス2016.7.4)
(8)WIKIPEDIA:ミモザ
(最終アクセス2016.7.4)
(9) 仏和大辞典編集委員会(1999):小学館ロベール仏和大辞典,小学館
(10)The Mimosa in Mandelieu La Napoule:Official Web site of the Tourist Office and Convention Mandelieu La Napoule
(最終アクセス2016.7.4)
(11) NHKドキュメンタリー(2015):世界で一番美しい瞬間(とき)ミモザ愛を伝える魔法のときイタリア ローマ
(12)Meteo Web:Festa della Donnna
(最終アクセス2016.7.5)
(13)WIKIPEDIA:Giornata internazionale della donna
(最終アクセス2016.7.5) 
(14)WIKIPEDIA:セボルガ公国
(最終アクセス2016.7.5)
(15)WIKIPEDIA:吉里吉里人
(最終アクセス2016.7.5)
(16)井上ひさし(2008):「ボローニャ紀行」,文芸春秋
(17)大槻文彦(1919年):言海,吉川弘文館
(18)大槻文彦(1934年):大言海,冨山房
(19)新村 出(1955,1969,1983,1991,1998,2008)広辞苑初,2,3,4,5,6版,岩波書店
(20)松村 明(1999):大辞林,三省堂
(21)現代用語の基礎(2003,2004,2005):自由国民社
(22)NPO法人プロフェッショナル・バーテンダーズ機構:カクテル年表
(最終アクセス2016年4月8日)
(23)内閣府男女共同参画局:男女共同参画社会基本法制定に至る男女共同参画政策の経緯
(最終アクセス2016年7月5日)
(24)伊丹市:国際女性デーin伊丹ミモザの日
(最終アクセス2016年7月5日)
(25)熊本市:男女共同参画センターはあもに
(最終アクセス2016年7月5日)

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